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福岡地方裁判所 昭和27年(行)29号 判決

原告 清水政光

被告 福岡県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十七年三月十二日附を以て原告に対してなした公衆浴場経営不許可処分は、無効であることを確認する。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として次のように述べた。

「原告は、福岡県浮羽郡田主丸町大字田主丸二百九十八番地において公衆浴場を経営すべく、昭和二十七年一月十八日被告に対し、「公衆浴場法」(昭和二十二年法律第百三十九号)第二条に基き許可の申請をした。しかるに被告は、右原告申請にかかる設置の場所が、既に許可を受けた公衆浴場から直線距離約百六十メートルを距てているにすぎず、昭和二十五年福岡県条例第五十四号(『公衆浴場法第二条並びに第三条に規定する基準条例」)第三条所定の配置の基準たる直線距離四百メートル(その後昭和二十七年福岡県条例第三十一号により三百メートルに変更)に達しないし、同条例第五条にいう特別の事情も認められないとして、昭和二十七年三月十二日附を以て、原告に対し前記場所における公衆浴場経営に許可を与えない旨の処分をなした。

なるほど、原告申請にかかる公衆浴場の設置の場所が、既設浴場から直線距離約百六十メートルを距てているにすぎず、形式的に被告の援用する法令に定められた配置の基準に抵触することは、これを認めざるを得ない。しかし、右不許可処分の根拠となつた公衆浴場法第二条第二項本文後段の、浴場の設置の場所が配置の適正を欠く場合、都道府県知事において公衆浴場経営の許可を与えないことができるとの規定、並びに、昭和二十五年福岡県条例第五十四号中の右配置の基準に関する規定は、以下詳述するとおり日本国憲法第二十二条第一項、第九十四条に違反する無効の法令である。

(1)  すなわち憲法第二十二条第一項は、何人も、公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有することを保障している。換言すれば、個人の職業選択の自由は、公共の福祉に反する場合でなければ、法律を以てしてもこれを制限することは許されないのである。しかるに、基本的人権に制限を加えることのできる公共の福祉とは何かについては、議論百出し帰するところを知らない。例えば、木村亀二教授は、『公共の福祉とは社会の全員の共存共栄であり、社会連帯である。』とし、また、『憲法第十二條が基本的人権の行使の指導理念として公共の福祉を規定したのは、すべての国民の基本的人権が他の者の基本的人権を侵すことなく、調和的に国民のすべてが、共存共栄の連帯関係を目標として基本的人権を行使すべき旨を宣言したものであり、第十三条は、基本的人権の内容、行使が共存共栄の連帯関係を限度とし、これを破壊し蹂躙するに至る場合には制限を受ける旨を宣言したものである。』と述べ(末川博編『基本的人権と公共の福祉』九七頁―九八頁)、清宮四郎教授は、『公共の福祉に反する行為とは、憲法の保障する自由及び権利が、一般国民に平等に確保せられるのを妨げるような行為を意味する。』と述べている(『憲法要論』七四頁―七五頁)。学者は、その他各種の意見を開陳しているけれども、前記二教授の見解に代表されているように、『公共の福祉』とは、一部の特定人や少数者の利益を指すのでなく、国民一般又は共同社会の不特定多数の構成員の利益に関連する観念であると解する点において一致しているのである。最高裁判所の判決では、『公共の福祉』という語句を定義付けているものが見当らず、むしろその意味を真正面から解明することを避けてきたのではないかと思われるふしがあるが、昭和二三年三月一二日(最高裁判所刑事判例集二巻三号一九一頁以下)、昭和二五年一〇月一一日(同四巻一〇号二〇二九頁以下)、昭和二六年四月四日(最高裁判所民事判例集五巻五号二一四頁以下)の各大法廷判決で用いられている『公共の福祉』の語も、おおむね前述と同様の意味に理解してよいであろう。

(2)  『公共の福祉』をかように解する以上、特定の或いは少数者の営業上の利潤を保全するために、特定の種類の職業選択に制限を加えることは憲法上許されない。日本国憲法の立脚する経済的基盤は、いうまでもなく資本主義経済である。資本主義経済にあつては、適者生存、弱肉強食の自由競争は避けられない。これが、個人の経済生活においては職業選択の自由として現われるのであり資本主義社会における職業選択の自由とは、個人が利潤の多い職業を何人にも遠慮することなく自由に選択し得ることを意味する。職業選択の自由こそは、資本主義社会を支えている経済的基盤であり、日本国憲法の根幹の一をなすものである。それ故例えば、甲が収益の多い職業を営んでいるとき、その近傍で乙が甲以上の資本を投入して同じ職業を営んだため、甲が乙の資本力に圧倒されて従前の独占的収益を得られないのみか、かえつて欠損の状態に陥ることもあろうが、右は、弱肉強食の資本主義経済の常であり、かように他人の営業を脅すかどうかにかかわらず、自己の欲する職業を選択する自由を、憲法第二十二条第一項が保障しているのである。従つて、特定者或いは少数者の営業上の利潤を保全するため他人の営業の自由を束縛することは、自由競争を基調とする資本主義経済の自殺行為であり、前述した意味内容の『公共の福祉』にかなう所以でないといわなければならない。

(3)  かく考えるならば、果して公衆浴場法第二条は合憲といえるであろうか、まず同条第一項は、公衆浴場の経営を許可制にしているが、同条第二項では、そこに列挙された例外の場合以外には必ず都道府県知事が許可しなければならないことになつているから、同条の許可制自体をとらえて違憲であるということはできまい。また、同条第二項本文前段の、都道府県知事において公衆浴場の設置若しくはその構造設備が公衆衛生上不適当であると認めるとき、経営の許可を与えないことができるとの部分は、公衆浴場附近の不特定多数人の公衆衛生のために浴場経営の自由を制限しようとするものであるが、浴場附近の不特定多数人の公衆衛生ということは、前述した『公共の福祉』という名に値する利益というに足りるから、該規定についても違憲の問題は起らない。しかし、同条項本文後段の、都道府県知事において公衆浴場の設置の場所が配置の適正を欠くと認めるとき、経営の許可を与えないことができるとの部分の合憲性は、甚だ問題であるから、以下項を改めてこの点につき詳論しよう。

(4)  原告は、さきに被告の許可を受けないで本件設備の場所において公衆浴場を経営したことが公衆浴場法違反罪に問われ福岡地方裁判所吉井支部に起訴されたが、その第二審である福岡高等裁判所の判決は、第一審の有罪判決を維持して公衆浴場法第二条第二項本文後段の合憲性を説き、『公衆浴場の偏在を避け、配置の適正をはかることによつて、出来得る限り多数の者に、浴場を利用させる便宜を与えるとともに、その経営を健全ならしめ、ひいては、衛生的設備を充実せしめることは、公衆衛生上きわめて必要であり、その濫立に委すときは、多くはその経営に経済的行きづまりを来たし、ために浴場の衛生的設備なども低下し、不衛生になるのは、健全なる社会常識上考えられるところである。それらの意味からして、公衆浴場の設置の場所の配置の適正をはかることは、公共の福祉に副うものというべきである。』と判示している。右判決理由は、要するに、(イ)都道府県知事が人為的に配置の適正を図つてやらないと、浴場が偏在して多数者に浴場を利用させることができないということ、並びに、(ロ)浴場を自由設立に委ねると濫立の傾向を助長し、浴場経営の利潤が低下するため、衛生設備の悪化を来たすということの二点に帰着するものと思料されるが、その論拠に乏しいことは、以下説明するとおりである。

まず、(イ)の都道府県知事が人為的に配置の適正を図らねば浴場が偏在するというのは、およそ資本主義社会の現実を無視した議論であるといわなければならない。アダム・スミスは、『自由主義の経済は、国家が個人に干渉せず各個人の自由を放任すれば、神の見えざる手に導かれて調和がとれて行く。』と言つたが、まさに資本主義の社会では、大衆の求めるところと利潤の確保されるところとは必らず一致するのである。従つて、公衆浴場の経営についても、都道府県知事がよけいな干渉をしないで自由に放任しておけば、浴場は、自ら大衆の要求する場所に設立されるであろう。かりに百歩を譲つて、浴場経営を自由設立に委ねれば浴場が偏在するとしても、かようなことは、何も公衆浴場だけに限るものではない。書籍店でも食糧品店でも自由設立を認めれば偏在することもあろうし、それらも偏在しない方が便利ではあろうが、かようなことは、現代の社会では当然の現象として認容されているのではあるまいか。それ故、公衆浴場だけをとらえて、偏在を防ぐために行政官庁が後見的役割を演じなければ公共の福祉が保たれぬという理由はない。

次に、(ロ)の公衆浴場を自由設立に委ねれば濫立し、利潤低下の結果衛生設備も悪化する虞があるというのも理由がない。浴場の設置を自由放任すれば浴場が濫立するという前提は、利潤の見通しのないところに浴場経営を始める馬鹿はいないという資本主義経済の原理を無視している。公衆浴場の設立を自由放任すれば、利潤をあげる可能性のあるところには浴場がぞくぞく設立されるかも知れない(これは濫立ではない)。しかし、利潤をあげる可能性がなくなると、もはやそこには浴場は立てられない。そして経済学によれば、利潤をあげることのできる線とできない線とは、明確に限界づけられているのである。更にまた、公衆浴場の衛生施設を、法律で浴場業者の収益を確保してやることにより維持しようとする考え方も妥当でない。公衆浴場の衛生施設を完備させる必要があるなら、かような目的は、公衆浴場法第二条第二項本文前段だけで充分にまかなえる。右規定の基準条件を、公衆浴場かどうして充たし得るかということまで、法律が考える必要はない。衛生施設が一定の基準に達しない公衆浴場に対しては、その経営を許可しないという冷厳な態度で臨めば充分である。そしてこれが資本主義社会における経営と法のあり方なのである。

以上要するに、右福岡高等裁判所判決の合憲説は理由がない。

(5)  なお、第七回国会において公衆浴場法第二条第二項を現行どおりに改正する案を審議していた際、公衆浴場の設置の場所が配置の適正を欠くとき浴場の経営を許可しないことができる根拠として浴場が濫立すると、附近の人家が煤煙を被つて非衛生的だから公共の福祉に反するという議論がなされたようである。しかし、かような愚にもつかぬ理由で基本的人権を制限しようとする議論がまさに公共の福祉の濫用にすぎぬことは、多言を要せずして明らかであろう。

(6)  更に、同条項本文後段は、既設浴場業者の生存権を保障するという意味において、憲法、特にその第二十五条の精神に合するものであるという議論も存する。しかしながら、資本主義社会の基盤に立つ現行憲法の下では、国民すべてに対し職業選択の自由を平等に保障することによつて、国民の生存権が平等に維持されることを予定しているのであつて、法令により国民一般の職業選択の自由を制限しながら、特定の業者の生存権を維持し、その既得権益を擁護するような方式は、憲法の精神ではない。論者の見解を推し進めて、更に他の各種の既設業者の生存権を維持するために法令により、その周辺における同業を禁圧するというのであれば憲法第二十二条第一項の職業選択の自由を保障する規定は、空文に帰するであろう。従つて、憲法第二十五条を援用して、公衆浴場法第二条第二項本文後段の違憲性を否定する見解は、根拠に乏しい。

(7)  それでは、公衆浴場法第二条第二項本文後段は、いかなることをねらつているのであろうか、表面的な立法理由は、いろいろあげられているが、この条規の本当のねらいはただひとつ、既設公衆浴場業者の利潤確保ということである。『自分の縄張りには浴場の新設は許さないぞ。既得権益は法律で守るぞ』というのが本当のねらいであつて、そこには、国民の良識に照して納得し得る何等の合理的理由も発見し難いのである。してみれば、この規定によつて保護しようとする利益は、特定少数の既設公衆浴場業者の既得権益にすぎず、それによつて奪われるのは、不特定多数人の享有すべき職業選択の自由の貴重な一角である。そして、特定少数者の利益が『公共の福祉』の名に値しないことは、前に詳述したとおりである以上、これを擁護するために不特定多数人の基本的人権の一部分を侵すような規定が、憲法に違反することは極めて明瞭であるといわなければならない。

(8)  更に、昭和二十五年福岡県条例第五十四号第三条、第五条は、公衆浴場法第二条第二項本文後段を受けて、県知事が公衆浴場経営の許否を決する根拠となる、設置の場所の配置の適正基準を規定しているが、既に公衆浴場法の右条規が憲法第二十二条第一項に違反する以上、これを受けた右福岡県条例の規定も、同様の理由によつて違憲無効であるといわなければならない。

ところで前記福岡県条例の右配置の基準に関する規定は、更に別個の理由に基く違憲無効の要素をも包含しているのである。公衆浴場法第二条では、二つの限られた場合に公衆浴場の経営の『許可を与えないことができる。』という言葉で表現されているように許可原則、不許可例外の建前がとられている。しかるに右条例では、その第三条において公衆浴場の設置の場所の配置の適正基準を具体的な数字を以て規定し、既に許可を受けた公衆浴場から一定の直線距離内においては原則としてあらたな公衆浴場の経営を認めぬものとし、ただ第五条において、地形、人口密度その他特別の事情があるとき、福岡県公衆浴場設置審議会に対する諮問を経た上、右基準によらないで営業の許可を与えることができることとしている。すなわち、福岡県条例の建前は、公衆浴場法とは逆で、不許可原則、許可例外となつているのである。それ故同条例の前記配置の基準に関する規定は、公衆浴場法にもまさつて国民一般の職業選択の自由に制限を加えているものであり、右は、公共の福祉による基本的人権の制限は必要最小限に止まるべしとする憲法の精神に背反し、且つは、地方公共団体は、『法律の範囲内で条例を制定することができる』とする憲法第九十四条にも違反するものといわなければならない。

かように、公衆浴場法第二条第二項本文後段、並びに、昭和二十五年福岡県条例第五十四号中の浴場設置の場所の配置の基準に関する規定が、違憲無効である以上、これらの法令を根拠としてなされた本件公衆浴場経営不許可処分も、無効であるといわなければならない。

かりに前記各法令が違憲無効でないとしても、田主丸町民多数の要望にかゝる原告の本件浴場経営の許可申請を何等合理的な理由もなく許可しなかつたのは、これらの法令の適用を誤り、違法に原告の権利を侵害した点において憲法に違反するものであるから無効である。

よつて、本件公衆浴場経営不許可処分の無効確認を求めるため、本訴に及んだ。(立証省略)

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。

「原告が、その主張の場所において公衆浴場を経営すべく、昭和二十七年一月十八日被告に対し許可の申請をしたこと、被告が、同年三月十二日附を以て原告に対し、原告主張どおりの理由に基き右経営に許可を与えない旨の処分をしたことは、これを認める。

しかし、右不許可処分の根拠となつた公衆浴場法第二条第二項本文後段の規定、並びに、昭和二十五年福岡県条例第五十四号中の右配置の基準に関する規定は、決して原告が主張するように違憲無効のものではない。その理由は、以下述べるとおりである。

(1)  およそ公衆浴場につき距離、環境等の条件を考慮することなく濫設を許すならば、公衆浴場は、利潤の多い場所に螺集偏在し、利用者の不便を招来するのみならず、いずれの浴場も利用者が減少するため、経営者等は、客の誘致に苦慮するあまり料金の引き下げを余儀なくされ、その結果招来される利潤の逓減は、必然的に彼等から浴場の施設向上のために出費する余裕を奪い、はては燃料、上り湯等をも節約することとなり、かくては、公衆衛生上好ましくない浴場がいたずらに増加するに至るであろう。さればかかる浴場の濫立に制限を加えることによつて、公共の福祉の実現を期する公衆浴場法第二条第二項本文後段は、もとより憲法に違反するものでない。

(2)  次に、昭和二十五年福岡県条例第五十四号は、公衆浴場法第二条、第三条の委任により制定された単なる基準条例であり、原告の主張するように、不許可原則、許可例外の建前をとるものではなく、同条例第三条所定の公衆浴場の設置場所の配置基準も、決してあらゆる場合に固執すべきものとせず、第五条において、特別の事情がある場合にはこれによらないで営業の許可を与えることができる途を開いているのである。しかも公衆浴場法第二条、第三条は、基準条例の内容につき何等の制限をも加えていないのであるから、その授権に基いて制定された前記福岡県条例については、当不当の問題はあり得ても、授権の範囲を逸脱するかどうかの問題を生ずる余地はない筈である。

かように原告の違憲無効論が理由のないものである以上、これらの法令に基いて被告のなした本件公衆浴場経営不許可処分が、当然に無効であるということはできない。

そして、原告は、既に許可を受けた公衆浴場から、昭和二十五年福岡県条例第五十四号第三条所定の直線最近距離四百メートル以上の基準に達しない場所で、公衆浴場を経営しようとしたものであり、しかも、同条例第五条を適用すべき特別の事情も認められなかつたから、被告は、公衆浴場法第二条第二項本文後段により右経営に許可を与えなかつたものであり、これを目して違法であるというのは当らない。

よつて、本件公衆浴場経営不許可処分の無効確認を求める原告の請求は、理由のないものである。」

(立証省略)

理由

原告が、福岡県浮羽郡田主丸町大字田主丸二百九十八番地において公衆浴場を経営すべく、昭和二十七年一月十八日被告に対し、公衆浴場法第二条に基き許可の申請をしたこと、そして被告が、右原告申請にかかる設置の場所が既に許可を受けた公衆浴場から僅かに約百六十メートルを距てているにすぎず、昭和二十五年福岡県条例第五十四号第三条所定の配置の基準たる直線距離四百メートルに達しないし、又同条例第五条の特別事情も認められないとして、昭和二十七年三月十二日附を以て、原告に対し右許可を与えない旨の処分をしたことは、当事者間に争いがない。

しかるに、原告は、右不許可処分の根拠となつた、公衆浴場法第二条第二項本文後段の、浴場の設置の場所が配置の適正を欠く場合都道府県知事において公衆浴場経営の許可を与えないことができるとの規定、並びに、昭和二十五年福岡県条例第五十四号中の右配置の基準に関する規定が、違憲無効であると主張するので、以下この点について判断する。

憲法第二十二条第一項は、ひろく国民一般に対し職業選択の自由を保障しているが、その自由も、公共の福祉に反しない限りにおいて認めらるべきことは、同条項の明示するところである。そして、公衆浴場営業は、本来私業として利潤の追求を目的とするものではあるが、他面、国民大衆に対し保健衛生上日常不可缺な浴場施設を提供する意味において、高度の社会公共性を有するものである。それ故、国が立法的措置を以て、清潔で衛生施設の完備した公衆浴場に限りその営業を認め、これを積極的に保護育成すると共に、不良な公衆浴場の濫立を禁止することは、国民大衆の保健衛生上極めて必要であつて、国がすべての生活部面について、公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない旨を宣言する、憲法第二十五条第二項の趣旨にも副うものといわなければならない。かような意味で公衆浴場法第二条第一項が、一般に公衆浴場の経営を都道府県知事の許可制としたこと、更に、同条第二項本文前段において、公衆浴場の設置若しくはその構造設備が公衆衛生上不適当な場合、都道府県知事が経営の許可を与えないことができる旨規定したことは、いずれも公共の福祉を維持するためになされた職業選択自由の制限として、憲法上当然容認されて然るべきことである。

もつとも、同条項本文後段が、公衆浴場の設置の場所が配置の適正を欠く場合をも経営不許可の事由となし得る旨を規定している点は、一応問題ではある。しかし、公衆浴場の設立につき何等の場所的規整をもなさず、いたずらに偏在、濫立に委ねるときは、既設及び新設の浴場が、共に経営難に陥り、果ては廃業の己むなきに至る虞もある。なんとなれば公衆浴場は、その経営につき多大の資本投下を必要とし入浴者一人当りの利潤は僅少であるからその経営には毎日相当数の入浴者を確保する必要があり(証人執行政次郎の証言によれば福岡市内において浴場を新設するには百万円乃至百五十万円の資本を要し入浴料金は大人十三円、中人十円、小人七円でその必要経費は収入の八割乃至八割五分を要し営業をなりたゝせるには一日三百人乃至三百二、三十人の入浴者を必要とする事実が認められ証人重松隆雄(後記えびす湯の経営者)の証言によれば田主丸町(原告において本件浴場を経営しようとする場所のある町)において浴場を経営するには一日平均百五十人乃至二百人の客がないと採算がとれない事実が認められる)そのためには或限度の場所的規整を計り大体の入浴者数を確保してやる必要があるものといわねばならず何等そのような措置もとらず自由設立に委ねるときは濫立のおそれがありさすれば利潤の低下、経営の行きずまりをきたしそれは単に個々の企業の成否の問題に止まらず、経営者が得てして浴場施設の補修、改善を怠つたり、水道費や燃料費を節約して、使い湯を不潔のまま放置したりするため、公衆衛生上由々しい結果をもたらすのみか、ある場合には、経営者をして廃業の己むなきに至らしめせつかく莫大な費用を投じて設備した浴場施設が、附近住民によつて利用されなくなり、さりとてにわかに他の目的のために転用することもできぬため、あたら無益に放置され或いは取り壊されるという、甚だしい社会的損失を導くこともないとはいえない。そればかりではなく浴場の煙突からの煤煙による火災及び附近住民の保健衛生上の点も考慮にいれねばならぬ。もし距離的制限がなく自由設立を許すとなればそれだけ附近住民がその煤煙によつて蒙る損害は健康上だけではなく物質上も建物その他物品の保存その他に少なからぬものがあるといわねばならない。そこで、かような公衆衛生乃至社会経済上好ましくない弊害を防止する意味においても右規定は公共の福祉に副うものであるといわねばならない。

してみれば、公衆浴場法第二条第二項本文後段の規定は、同前段とひとしく、公共の福祉を維持するために己むを得ず職業選択の自由に制限を加えたものとして、憲法第二十二条第一項に違反しないものといわなければならない。原告は前記規定は既設浴場経営者の利益だけを擁護する法律であると主張するが、これは原告の根拠なき偏見に過ぎず、公衆浴場の新設を促す意味においても距離的制限を設くる必要のあることは前示説明したところによつて明らかである。

次に、昭和二十五年福岡県条例第五十四号第三条、第五条は、右公衆浴場法第二条第二項本文後段を受けて、同条第三項の委任に基き、県知事が公衆浴場経営の許否を決する根拠となる設置の場所の配置の適正基準を規定しているが、原告は、右規定が、公衆浴場法の委任の範囲を逸脱するものであるから、憲法第九十四条に違反して無効であると主張する。しかし、公衆浴場法第二条第三項は、公衆浴場の設置の場所の配置の基準について、包括的に都道府県の条例に委任しているに止まり、何等の制限をも明示していない。そして、前記福岡県条例は、その第三條において、既に許可を受けた公衆浴場から市部にあつては三百メートル(昭和二十七年福岡県条例第三十一号により二百五十メートルに変更)、郡にあつては四百メートル(同条例により三百メートルに変更)の直線距離内においては、原則としてあらたな公衆浴場の経営を認めぬものとしているがあらゆる場合に右の劃一的な基準を固執することなく、第五條において、地形、人口密度その他特別の事情があるとき、右基準によらないで営業の許可を与えることができる余地を残しているのである。従つて、右条例の規定は、決して公衆浴場法第二条による授権の範囲を逸脱したものではない。又原告は、同条例の規定の体裁は公衆浴場法第二条とは逆に、不許可原則、許可例外となつているから、憲法第九十四条に違反するといふがその趣旨が明瞭を欠くだけではなく到底採用に値しない見解である。そして、前述のとおり公衆浴場法第二条第二項本文後段が、憲法第二十二条第一項に違反するものでない以上、同様の理由によつて、右公衆浴場法第二条の授権の範囲内で定められた前記福岡県条例中の各規定も、憲法の右条規に違反しないものといわなければならない。

以上要するに、公衆浴場法第二条第二項本文後段、並びに、昭和二十五年福岡県条例第五十四号中の浴場設置の場所の配置の基準に関する規定は、いずれも合憲有効と断ずべきものである。よつて、これらの法規が違憲無効であるとの見解に立脚して、本件公衆浴場経営不許可処分を無効となす原告の主張は、採用するに由がない。

次に原告の、本件公衆浴場経営不許可処分は法令の適用を誤つた違憲無効の処分であるとの仮定的主張について判断する。

原告の主張するところは要するに被告が本件申請につき前記条例第五条所定の特別事情を勘案せず原告に対し営業の許可を与えなかつたのが違憲であるというにある。よつて本件は右第五条にいう営業の許可を与えるに足る、地形、人口密度その他特別の事情が存するか否かにつき考慮してみたい。証人吉武智嘉男、同重松隆雄及び同岡野敬二の各証言、並びに、検証の結果を綜合すれば、田主丸町の人口は、約六千であつて、従来その中央部の人家の密集しているところに、約四百メートルの距離を置いて東側に訴外吉武智嘉男の経営にかかる『丸吉湯』、西側に訴外重松隆雄の経営にかかる『えびす湯』と称する二つの公衆浴場が存在し、丸吉湯は脱衣場が男湯女湯各六坪浴室は男湯四坪乃至四坪半位で浴槽は直経一米八八の円形、女湯は六坪位で浴槽は前同様えびす湯は脱衣場が男湯は四坪乃至五坪、女湯はこれよりやゝ広く浴場は男女湯とも約五坪のいづれも小規模の浴場であること、右両浴場はいずれも右設備を持つて公衆浴場として被告から営業の許可を受けておること、原告申請にかかる公衆浴場の設置の場所は、右『丸吉湯』の東北方道路沿いで約二百メートルの位置にあることが認められる。以上の事実が存するにかゝわらず被告が本件申請について前記条例第五条の適用につき考慮をいたさなかつたのはいささか妥当を欠く憾があるものといわねばならない。しかしそのため被告の前記行政処分が違法となるいわれのないのは勿論これを無効たらしめる瑕疵があるものではないから、前記原告の主張も、結局理由なきに帰する。

よつて、原告の本訴請求は、これを失当として棄却すべきものとし、なお、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鹿島重夫 大江健次郎 戸根住夫)

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